疲れる前に読んでほしい介護と家族の関係
私は介護を通して、たくさんの人、たくさんの家族に出会いました。
介護デビューの日は、今でもハッキリ覚えています。
午前中に芸能人が住んでいる高層マンションの最上階に行き、午後からはゴミ屋敷への訪問。
あまりのギャップに目の前の現実が、童話の世界にでもいるような、不思議な感覚でした。
今回は、私が印象に残っている家族について話します。
家族の介護は義務?特に印象に残ってる家族のはなし
全身が排泄物まみれのWさん
80代女性のWさんに出会ったのは、私が在宅介護をはじめて、少しずつ自分なりに工夫ができるようになってきた頃です。
ケアマネジャーから「急な依頼なんだけど、すぐに来られる?」という連絡を受けました。
Wさんはケアマネジャーの定期訪問時に、倒れていたところを発見され、救急搬送され衰弱で入院。
入院中は家族と連絡がとれず、急な退院となったという話でした。
訪問すると、ベッドで横になったWさんが緊張した表情で、私を見ました。
ケアマネジャーとは顔なじみだったので、話はスムーズに進み、Wさんも話しているうち「あんたが来るのを楽しみしてる」と、笑顔で受け入れてくれました。
次に別室にいたご家族さまと、契約を行いました。
キーパーソンは次男さんご夫婦
- Wさんの家から、自転車で10分の距離に住んでいる
- 嫁姑問題があるため、ほとんど会ったことがない
- できればあまり協力はしたくない
今まで姑からひどい態度をされていたのに、「なんでこんな時だけ呼ばれるんだろう・・・」と思うのは、当然ですよね。
ケアプラン
私たち訪問介護は1日3回、1回の訪問時間は30分~1時間です。
下記内容すべてを毎回行うわけではありませんが、朝と夕方は30分なので大忙しでした。
最後に残った問題は、夜間の排泄介助です。
ヘルパーが、17時の訪問でオムツを交換。帰る間際の18時頃に確認をしたとしても、翌朝の訪問まで、10時間以上オムツの交換ができません。
夜間の訪問介護を使うことはもちろん考えられたのですが、介護保険の上限を超えてしまいます。
「ひとまずやってみましょう」と、サービスを開始。
次の日、訪問するとWさんは笑顔で迎えてくれました。
いざ布団をめくると、全身が排泄物でびっしょり。
高齢者の紙おむつの助成をうまく活用し、オムツ・高吸収パッドを2種類・紙の使い捨て防水シーツを頼みました。
当て方を研究し漏れはへりましたが、それでもあっという間に、お尻が赤くなり、水ぶくれができ、皮膚がただれ液や膿が出て潰瘍になり、骨まで見えてしまいました。
ケアマネジャーが、Wさんのお尻の状況をご家族に説明をしてくれましたが、あまり聞いてもらえません。
何度目かのチャレンジで、次男さんにやっとWさんの褥瘡を見てもらえたのです。そして、このまま何もしなければ、すぐに大変なことが起こってしまうことを理解してもらえました。
次の日から、訪問入浴や夜間のヘルパーの利用を開始。
ショートステイの利用もあり、時間はかかりましたがWさんのお尻は、骨が見えるほどの褥瘡があったとは思えないくらいキレイに治りました。
それから1年後、申し込みをしていた施設に空きがでて、Wさんも納得され施設へ入所されました。
Wさんのように、嫁姑の仲が悪かった場合、お嫁さんが介護をするのは、相当な苦労が強いられます。
ずっと言葉の暴力に悩んだ奥さまとALSのOさん
次の家族は、施設で出会ったOさん家族のお話です。
Oさんは60代男性 ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気で入所されました。
手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて、力がなくなっていく病気です。
そしてこの病気は、意識や五感は最後まで正常で、頭脳の働きも変わらないといわれています。
Oさんは、明るくて物事をハッキリ言う奥さまと娘さまの3人家族です。
Oさんから聞いた入所時の願いは下記の3つでした。
- 半年後にある娘の結婚式に参加したい
- 人工呼吸器は行わない
- 苦しまずにこの施設で死にたい
日に日にOさんの身体が動かなくなってきたころ、奥様が少しずつ明るくなったような雰囲気を、私たち職員は感じていました。
oさんの葛藤と奥さまの本音
私が昼休みに入ろうと思ったとき、「Oさんが何かを喉に詰まらせた」と看護部長から連絡を受け慌ててOさんの部屋に駆けつけました。
Oさんは顔色は悪く、黙ってリクライニング車椅子に座っていました。
急いで奥さまに連絡をとりました。奥さまは自宅にいて、すぐに家を出ても施設に着くまで1時間半かかるというのです。
私のいた施設は、職員が救急搬送について行けない決まりになっていたため、主治医と施設の責任者が車で、Oさんを近くの大学病院へ連れて行きました。
このまま入院になるかと思っていましたが、夕方には責任者とOさん、奥さまが施設に戻ってきました。
私は師長と面談室に呼ばれ、責任者から事情を聞きました。
Oさんは自ら、近くにあったメモ用紙を口に入れ、吐き出せないため詰まったというのです。
社長や本部の社員も到着し「施設としては大切な命を預かっているので、自ら危険を冒すなら退去してもらう」とOさんと奥さまに伝えました。
奥さまは「今の状態を自宅で看ることはできない」と・・・・・・・
私は師長と奥さまと、女性だけで話をしました。
奥様の気持ちをゆっくり話してくれました。そして、Oさんが施設に入所して心に余裕ができたそうです。
私たちが感じてた、奥さまの雰囲気の違いはこれだったのです。
結局、Oさんは二度と危険なことはしないと誓約書に記入し、事件は終わりました。
その後、徐々に身体の状態が悪くなり「娘さまの結婚式への参加は厳しい」と、主治医から話がありました。
なんとかoさんの願いを1つでも多く叶えたいと、職員全員で話し合い、Oさんには内緒で施設で結婚式を挙げようと決まりました。
結婚式当日、着替えのスーツを見たOさんが「漫画のように目を丸くしてた」と、担当者が朝礼でサプライズの成功が報告されました。
Oさんには師長から、「練習のために式場に行って体調を崩したら大変だから、練習は施設でやります。Oさんの驚いた顔が見たいからサプライズにしていた」と話しをしてもらいました。
朝食後、急いで食堂を片付け、シーツや手作りの紙花で簡単なチャペルを作りました。紙花は入居者さまの手作りです。
参加できる入居者さま、職員が参加。
ウエディングドレスの娘さまが登場するとみんなが感動し、涙する入居者さまもいました。
いつもと違う特別な日を、その場にいた全員が楽しんでいたように見えました。
Oさんは式から2日後に急変。奥さまの判断で大学病院へ救急搬送され、お亡くなりになりました。
後日、奥さまが退去の手続き来られ、
と寂しそうな笑顔がとても印象に残っています。
家族のかたち
介護を理由に家族のトラブルを、沢山みてきました。
多くは介護を引き受けた人の余裕がなくなり、不平不満が爆発することで信頼関係が薄れていきました。
介護は、いつ・どんな状況で必要になるのか分かりません。
自分の家族ができる介護の形について、日頃から話をしておくことが大切なことだと思います。
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